宇宙の法 エローヒム編 187322_02

 『宇宙の法―エローヒム編―』を見ながら心に浮かんだ感想をメモしておいたので、ここで整理してみる。
  • HS映画はいつも映像はきれいだ。これは今回も変わらない。
  • いきなり舞台背景の説明がはじまった。これはファンタジーあるある。
  • 地球における善悪を知れって…普遍でなく、あくまで地球限定の善悪か。
  • 白色彗星ならぬ、赤色彗星か? しかも艦隊の攻撃でも撃破できないとは…まるで、『さらば宇宙戦艦ヤマト』のようだ。
  • 人物の絵は、みんな止まっている。人物と背景が分離している。なんだか無味乾燥だ。人物は生きてない。蝋人形だらけ。これでは感情移入し難い。
  • ♪~きた、きた、わたしはきた~♪♫ 歌ありの音楽と、歌なしの音楽とでは落差が激しい。もちろん歌なし音楽↑、歌あり音楽↓。
  • ヤイザエル、強すぎ。ドラゴンボールみたい。強い女戦士を設定するとはHSらしからぬフェミ系への配慮もあるのだろうか。
  • ベガの女王、一瞬、きょうこ夫人に見えた。
  • 彗星でなく、隕石爆弾? 流星爆弾みたいだな。
  • あまりに漫画すぎる。普段アニメは全然見ない人は、退屈するのではあるまいか。
  • 会話がいちいち教義紹介になってる。教義紹介をしたいのは分かるが、その方面に興味がない立場からするとうざったい。
  • ヤイザエルが泥酔している兵士たちを叱ってる。千眼美子(清水富美加)が泥酔者を叱るというのはおかしい。
  • もののけ姫のタタリ神みたいのが湧いてる。
  • ひとりの英雄、いやヒロインが戦況を一変させてる。漫画すぎる。
  • アモール(イエス・キリストのエネルギー体)が、悪魔よ立ち去れの一言で戦いを終わらせている。
  • ヤイザエルが反省している。悪を倒すのにためらわなかったが、もしかしたら自分には愛が足りないのではないかと…。
  • ミカエルとルシフェルが双子というのは、レムリアで言ってたのと同じだ。
  • 話のテンポが遅すぎる。あらすじも簡単すぎる。地球を侵略しようとする宇宙人を撃退するというだけ。ヤイザエルにしても、その他の人物にしても、さほどの悩み、葛藤はない。物語を通じて、大きく成長していない。したがってストーリーに起伏がない。だから退屈。
  • 正しいと思うことを自由に述べてよろしいと、エロヒムは言論の自由を認めてる。
  • ヤイザエルのヘルメットの額のところ、シャアと同じ形に変わってる。
  • アモールが山を動かしている。この山動きて海に入れか…。
  • 戦争が肯定的に描かれている。正義の戦争は善であるということらしい。自分は考え方としては右ではあるが、こういう戦争の描き方は受け入れがたい。戦争というものは聖戦だろうが、自衛だろうが、どのような名目があったとしても、多くの人々が悲惨に殺されてゆくものだ。大勢の血で大地を染めることを正義だとか、善だとかいうのはどうかしている。
  • ヤイザエル、二度も油断して敵に背後をとられている。歴戦の勇士がこういう不覚をとるわけはあるまい。
  • パングルって、らんま1/2…、いや呪術廻戦か? 本作は特に先行作品との類似性が見受けられるけれども、これはオマージュというやつなのだろうか。
  • さまざまな個性を持つ者たちが集い、お互いの短所を補い合い、発展してゆくという考え方はよいと思う。
  • 地球神は時間を戻せると…。取り返しのつかない大きな過ちを犯しても、地球神が時間を戻してなかったことにするって…。いや、もしかしたら、幻魔大戦のように地球は滅びたものの、一瞬間のうちに滅びていない世界を想像したのだったりして。
  • ダハールを追って行ったまま戻ってこないヤイザエル。これは軍規違反にならないのだろうか。
  • エローヒムの演説でシメ。
 最近のHS映画は、HS色が薄まってきていたようだが、今回は原点回帰したのか、HS色が非常に濃厚になっている。HSの世界観だけで物語がつくられている。そのせいか、HSを信じていない自分はあまり感情移入できず、退屈したというのが正直な感想である。
 本作はHSとその信者にとっては尊い映画ではあろうが、HSも、エローヒムも信じていない一般に理解されるのは難しいだろうと思う。

宇宙の法 エローヒム編 320





◇◆ 追記 2021.10.13 ◆◇


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