*大川隆法とキリスト教
 『メシアの法』を読んだら、キリスト教について語っているところがあったので、その部分についての感想をメモしておきたい。


*ドラキュラ?
 まず大川隆法総裁は、聖餐式や十字架について否定的な見解を述べている。
たとえとしても、非常に上品ではないたとえではあります。「自分の肉を食らい、血を飲め」と言っているわけですから、これはドラキュラ伯爵に先立つこと何百年前に、出てきたような感じです。「自分の肉を食べ、血を飲め」というのですが、気持ち悪いでしょう。
 そういうようなことで、そのたとえ話は通じず、離れていった人も数多くいることは、『聖書』を細かく読めば分かります。

〈省略〉

 また、イエスは十字架に架かっていますけれども、その十字架がキリスト教のシンボルになるというのもちょっと信じられないことでしょう。これは、日本的に言えば、墓石か何かの形をかたどってぶら下げるようなものでしょうから、そうとう倒錯した宗教であることは間違いないのです。

(『メシアの法』大川隆法著、幸福の科学出版、2022年、pp.159-160)
 実を言えば自分も、キリストの体を食べ、血を飲むというのにはギョッとさせられるのだが、それでもその背景にはそれによってキリストと一体になり、清められるという思想があると聞けば、なるほどと思わないでもない。
 十字架がシンボルになった理由については、検索してみると、救い、勝利という意味かららしい。なるほど、生贄を捧げることで罪が赦されるという考え方からすれば、イエスの犠牲によって救われたとして、十字架を救いのシンボルとするのは理解できなくもない。
 私にとってキリスト教は異文化なので、その論理を理解するのは大変なのだが、聖書の神エロヒムの生まれ変わりだという総裁がその論理を解きほぐしもせず、倒錯と決めつけているのは随分とおかしなことだと思う。


*ジョン・レノンは、キリストである?
最近では、「ビートルズのジョン・レノンも、イエス・キリストの少なくとも分身的な存在であるらしい」ということが分かっております。

(同上、p.181)
 HSでは、無神論や唯物論を強く批判しているが、天国も地獄も宗教もない世界を理想として語るジョン・レノンを、キリストと同一視するのはどういうわけだろう。おそらくはそれなりの理屈があるのだろうけれども、それでもやっぱり釈然としない思いは残る。
 ただ、何となくではあるが、これには霊的、思想的な理由は殆どなく、総裁の周囲にジョン・レノンの大ファンがいて、その期待にこたえるためにジョン・レノンの霊格を高く設定しただけという気がしないでもない。
 総裁には教団の発足時に、元GLAの人の期待に答えて、高橋信次を高く評価し、霊言集をたくさん出したという話があるので、そんな風に思うわけである。

・ジョン・レノン / イマジン (日本語訳付き)




*霊能力信仰?
 彼の言葉や行動のなかには、この世的にはかなり倒錯したものもあるとは思うのです。だから、それが理解できないキリスト教徒は数多くいるでしょう。
 例えば、「『この山動きて海に入れ』と言わば、しかなるべし」などと言っても、ちょっと、この世的には理解しがたいものがあります。
 しかし、霊界では、そうした「アデプト」といわれるぐらいの人になると、霊界の山とかを崩壊させてしまうような力を本当に持っていますし、つくり変えてしまうこともできるのです。

(同上、p.235)
 イエスの言葉には逆説的なものはあるとは思うが、総裁はそれを倒錯と表現しているのだろうか。こういう言葉の選び方には、どうも悪意があるような気がしてならない。
 とはいえ、それはともかくとして、この聖書読解は疑問に感じたので、聖書の該当箇所を見直してみたら、こうあった。
イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何にもない。」

(マタイ17.20)
はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。

(マルコ11.23)
 この文章を読んだ限りにおいては、どうやらイエスは、信仰があれば、誰であっても山を動かせるとしていたらしい。難しい修行を積み、霊的覚醒を成し遂げ、特別な力を得た者だけが可能だというのではなく、信仰があればできると。
 それに対して総裁は、霊的覚醒を成し遂げた特別な人物であってこそ、霊界の山を動かせるとしている。私にはどうもこれはあからさまな霊能力信仰であり、裏の考え方のように思える。


*イエス批判
十字架に架かったりするような、こういう、みすみすこの世的には命を失うようなことを好んでしたことを、「『この世的な知力』というか、『生きようとする意思』が弱い」、あるいは、「『生き延びようとする知恵』が弱い」というふうに見る人もいると思うのですけれども、これは、霊的覚醒の問題です。

(同上、p.236)
 これは他人の意見というより、総裁自身の意見だろう。たしか総裁は、次のようなイエス批判をしていたと記憶している。
 イエスには自虐的な傾向があったので、十字架という悲劇を引き寄せた、アガシャー、クラリオと名乗っていた前世でも、イエスの時と同じような悲劇的な最期を遂げている、これに比べてエル・カンターレにはそのような傾向はないので、ラ・ムー、ヘルメス、釈迦…いずれの転生でも成功し、悲劇的な最期はない、イエスは十二弟子だけでなく、もっと多くの弟子を集めていれば、捕らえられ殺されることはなかったろう…云々。
 こういうマウント発言も、そういう自分自身の発言を「霊的覚醒の問題」として否定しているところも、いかにも総裁らしいなと思う。





◇◆ 追記 2022.11.3 ◆◇


*至高神エル・カンターレ
 『秘密の法』にも、キリスト教について語っている箇所があったので、保存しておきたい。
 世界に二十億人もの信者がいるといわれているキリスト教のイエス・キリストでさえ、幸福の科学のなかでは、一人の指導霊にしかすぎません。その現実を知ったときに、「幸福の科学という宗教が、どれほど大きな力を背後に秘めているか」ということを、どうか知っていただきたいと思います。

(『秘密の法』大川隆法著、幸福の科学出版、2021年、pp.297-298)
 HSでは、もっとも偉い神様はエル・カンターレである大川隆法とされ、それ以外の神様はみな格下扱いとなるので、イエスについても上のような見方になるのだろう。イエスであっても、エル・カンターレが率いているHSを支援する多くの高級諸神霊たちのうちの一人にすぎないのだよと。
 総裁は90年代に出版された書籍『フランクリースピーキング』の中で、イエスの悟りが手の平の上に見えたと語っていたが、上の文章を読む限り、どうやらその時の意見は変わっていないということなのだろうな。
 こういう考え方は随分と傲慢ではあるが、大抵の宗教では自分のところの神様が一番偉くて、他の宗教の神様は格下だとか、偽物だとするものだろうから、その意味でHSも普通の宗教だということはいえるだろう。