『秘密の法』大川隆法著

*まえおき
 『秘密の法』を読んだので、その中で賛同できた部分、賛同できなかった部分について、記事の前半後半に分けて書いてみた。
 まず以下が賛同できた部分である。


*触らぬ神に祟りなし
全体的に見ておかしいと思うものからは、やはり、距離を取ることが大事ではないかと思います。

(『秘密の法』大川隆法著、幸福の科学出版、2021年、p.91)
 大川隆法総裁はここで、おかしいと思う宗教には近付かない方がいいとしているが、これには私も賛成である。
 仮に、「この宗教は正しい」と確信を持って近付いたとしても、あとで「何か、おかしい」という違和感を覚えたなら、早々に離れた方が賢明である。


*責任
 やはり、年齢相応に成熟して、自分のことは自分でできるようになり、あるいは、自分以外の人にも「責任」を負えるようにならなくてはいけません。

(同上、p.152)
 これもその通りだ。世の中で生きていくということは、その立場によって責任を負い、義務を果たすことを求められるということだろう。
 人の立場は、人それぞれ異なるので、その責任や義務の中身はそれぞれ異なるだろうけれども、責任や義務は世の中で生きている限りはついてまわるし、それらを果たしてこそ人は幸福を実感できるのだと思う。


*相性
世の中には「相性」というものもあるので、相性の悪い人もどうしても出てきますが、それはしかたがないことです。すべての人に愛されはしません。

(同上、p.160)
 これもその通りだし、自分にもよく理解できる。世の中には、さまざまな個性を持った人たちがいて、それぞれ感性も、考え方もちがっている。それならその中に自分と気が合う人がいる一方で、合わない人もいるのは当たり前である。
 すべての人たちと仲良くするのが理想ではあるけれども、どうしても合わない人は敬して遠ざけるしかない。


*石橋を叩いて渡る
 このように、自分自身を客観的に見て、平均率を見て、さらに、「細分化の原理」等を通して、「キャパオーバーでアウトになること」をできるだけ避けていくことが大事だろうと思います。

(同上、p.131)
 これはその通りだと思う。適度なストレスは必要かもしれないが、過度のストレスは避けた方がいいし、時には新たな挑戦をすることも大切だろうけれども、無謀な賭けは止めておいた方がいい。


*学問
 特に、あの世で長い間、地獄界とか裏側とかにいる人には、はっきりと勉強していない人も多いので、教学を続けている態度が、彼らの言葉や惑わかしを、ある程度避けることにもなるのです。

(同上、p.145)
 あやまちを防ぐには、人はいかに生きるべきかという意味での学問があった方がいいのはその通りだ。
 学問があれば絶対に大丈夫だというわけではないが、ないよりは、あった方がずっと良い。


*唖然
 ここからは、賛同できなかった部分について書く。
 まず私は、この発言はあまりに酷いと感じないわけにはいかなかった。
 残念ながら、アッラーの神は向こうで応えたまわないのです。もう少し、“東”のほうに向かって呼んでいただければ光を送れるのですが、天上に向かって拝んでいるので、残念ながら聞こえていないことも多いのです。

(p.291)
 これはつまり、至高神エル・カンターレである自分に向かって祈れということだろうか。冗談か、本気かわからないが、真面目に祈っている人たちに向かって、こんなことは言うべきではないだろう。


*神罰?
「これらが、なぜ同時に起きるのか」ということについては、今は内緒です。ただ、まったくの内緒でもなく、少しぐらいは分かるかもしれません。「エル・カンターレが下生しているのに、人類はたるんでいる!」という意味での自然現象も起きているかもしれないのです。

(同上、pp.302-303)
 これはさまざまな自然災害の例を上げたあとの発言だが、まるでそれらの自然災害は、エル・カンターレである自分を信じない人々に対する神罰であると言いたげである。
 前々から疑問だが、神様が「自分を信じない者は懲らしめる」というのは、神様が奪う愛をしているということであり、これはHSの愛の教えからすれば大きな矛盾になるのではないだろうか。


*礼儀
 高級霊が来る場合でも、今はわりと普通に話をしているように見えていると思いますが、私が霊道を開いた最初のころは、もう少し畏れ多く、「遠い高い世界から来るものだ」と思い、「こちらも人間として、高級霊を敬わなければいけない」といった気持ちもありました。ところが、悟りの内容が、こちらのほうがだんだん高くなってくると、逆転してくるような感じがはっきりと出てきたので、これも相対的なものにしかすぎないのではないかという気はしています。

(同上、pp.26-27)
 この発言の背後には、他者との関係を霊格の上下で判断し、上の者は下の者に礼を尽くさなくて良いという発想が見て取れる。
 また高級霊と立場が逆転してきたというのは、悟りが高くなったからというより、悟りが落ちて傲慢になったというだけのことだろう。
 私は、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という考え方に共感するので、より謙虚になり、相手を尊敬するようになるのでなくては、悟りが高まっているとは思わない。


*イエス・キリスト
 世界に二十億人もの信者がいるといわれているキリスト教のイエス・キリストでさえ、幸福の科学のなかでは、一人の指導霊にしかすぎません。その現実を知ったときに、「幸福の科学という宗教が、どれほど大きな力を背後に秘めているか」ということを、どうか知っていただきたいと思います。 

(同上、pp297-298)
 イエス・キリストは神のひとり子ではなく、たくさんいる指導霊のうちの一人にすぎないと…。
 私は自分の傲慢さを反省することがあるけれども、総裁を見てると、そんな自分がすごく謙虚に思えてくる。というより、総裁を基準としてみるなら、世の中には傲慢な人は一人もいないことになるのではないかと思う。


*一番?
 日本のなかでは、「戦後において最大に発展した宗教」として記憶されるでしょうけれども、まだ、それ以上のものではありません。しかし、やはり、世界的に知られる必要があるのです。

(同上、p.331)
 総裁は、幸福実現党の選挙結果を知らないのだろうか。それとも忘れてしまったのだろうか。
 幸福実現党の選挙結果をみれば、HSは「戦後において最大に発展した宗教」とは言えないだろうと思う。


*金縛り
 幽霊は横回転に弱いようです。金縛り状態では、縦には起き上がれないので体が動きませんけれども、幽霊は、横に回転する動きを止める方法をあまり知らないような感じがします。

(同上、p.49)
 総裁は横回転で金縛りを解いた経験から、この結論を得たそうだが、これは幽霊がどうこうとうより、横臥している人は、縦に起き上がるより、横に寝返りを打つ方が簡単だということではないだろうか。
 また至高神エル・カンターレの本体であり、偉大な霊能者である総裁が、金縛りにあうというのはおかしな話である。


*脱毛症
 ある女性に妬まれて、髪の毛が抜けて、丸ハゲがいくつもできた女性に、来ている生霊を特定し、「生霊退散」を私が命じると、一、二カ月で、髪がボウボウと生えてくるのである。

(同上、p.336)
 生霊退散を命じてすぐに髪の毛が生えたというなら奇跡かもしれないが、症状改善に一、二カ月かかったというのは、病院での治療効果が現れるのにそれだけの時間がかかったというだけのことに思える。
 また結界に守られ、総裁の傍にいる女性が生霊の被害にあったというなら、これもまたおかしな話だ。


*昇進試験?
 また、「天使系」の方だと、あの世でも何段階かの試験を受け、イニシエーション(秘儀)を受けないと、上に上がっていけないことが多いのです。

(同上、p.74)
 天使が試験を受けるというのは、まるで漫画のような話であるが、HS的には漫画が現実の天上界の仕組みを写したということになるのだろうか。
 総裁は、まえがきで「本書では、不思議なエピソードや体験が満ちあふれている」と書いているが、自分にはそこに神秘性よりも、どうしても漫画っぽさを感じてしまうのである。この意味で、HSは宗教というより、スピリチュアルエンターテイメントであり、サブカルだといった方がいいのではないかと思う。