*反省メモ
 今回の議論についての、反省点をメモしておきたい。
 メモしないと、すぐに忘れて、また同じ失敗をしてしまいがちなので(笑)。


*過去の教訓
 まずは、ネット上の議論について、過去の教訓を思い出してみる。
  • リアルでの議論なら、長くても二、三時間で済む。でもネット上の議論は延々続く。他のことをする時間を奪われる。
  • 事実関係の議論なら結論が出ることもあるが、宗教・思想など価値観に関する議論は、水掛け論になり延々続く。時間を奪われる。
  • 意見の相違、対立だけならまだしも、それはじきに感情的な対立にすすみ、やがては恨まれて、延々粘着されることになる。そうならないうちに議論は止めるべし。
  • 人格批判は無視すべし。人格批判に反論すれば、議論は本題からどんどんズレてゆく。
  • 人の意見は変えられない。好悪の感情も変えられない。議論によって相手が変わることを期待してはいけない。
  • 悪口を書かれれば反論したくなる。でも反論を始めてしまえば、これで終わりということはなく、延々やりあうことになりキリがない。
  • 分かるヤツはすぐ分かる。分からないヤツはどんなに説明されても分からない。話が通じないヤツとの議論は、さっさと切り上げるべし。
  • その他いろいろ。
 今回はこれらの教訓を破ってしまったところがあるので反省。


*今回の教訓
 今回の教訓は、事実に関する議論と、評価に関する議論はきちんと分けようということ。
 自分は、この議論は、盗用の有る無しという事実に関する議論だと思ったのではあるが、よく考えてみたらこれは事実に関する議論ではなく、評価に関する議論であり、ある意味、価値観に関する議論に踏み込んでいたのだった。
 自分は迂闊にもこの辺りのことを見誤り、盗用問題の議論は、事実に関する議論だと思い違いをしていた。これは失敗。ひたすら反省。


*評価に関する議論
 ちなみに、この手の議論はHS界隈ではよくある。
 たとえば、代表的な事例としては、「大川隆法は仏陀か否か」というものがある。大川隆法は存在するというのは事実に関する話だろうけれども、「大川隆法は仏陀か否か」というのは、評価に関する議論なので、大方の人々が仏陀ではないと判断し、それが事実であったとしても、仏陀であると言い張る信者に意見を変えさせることは困難だということになる。
 「霊言は本物かどうか」という議論も同じ構図だ。大方は霊言は嘘だと判断し、それが事実であったとしても、「霊言は本物だ」という信者の評価を覆すことはできない。
 HSから離れて、極端な例を挙げるとすると、殺人事件にもこれと似た構図がある。ある人がある人を死に至らしめたのは事実としても、それが殺人であるか、過失致死であるかの判断については、一方が正しく、もう一方は間違いであるとはっきり決めることは困難だ。大多数が殺人と判断する場合でも、過失致死だと言い張る人にその判断を変えさせるのは難儀だろう。
 したがって、ある論文には他の論文と同じ文章がいくつも発見されたという事実に対して、大方が盗用だと判断したとしても、盗用ではないという判断を完全に排除するのは無理だ。ことに大川隆法は仏陀であり、霊言は本物だと判断する人がそのように主張する場合にはそうなる。
 こうしてみると、やっぱり評価に関する議論はやっかいだし、深入りしてもしょうがないということになる。
 まあ今回は、盗用問題を話題にし、ネット上に記録を残せたという点ではよかったとは思うが、自分の中では上の区別…事実に関する議論か、評価・判断に関する議論か…があいまいになってたところは、やっぱり反省しなくちゃならん。今度は間違わないように注意しよ。