*保存
 前記事につづき、これもHS界隈ではよくあることなので、ツイート保存しておきたい。
2021-02-19-09_30_23合理的ではあっても、信仰によるものではない
https://twitter.com/komo266/status/1361998403924729860


*顛末
 ここに至るまでの経緯は、大体こんな感じだ。
  • KENTO氏は、さかんにアンチ批判をする。
  • アンチ諸氏から反論が寄せられる。
  • KENTO氏とアンチ諸氏の間で議論になる。
  • やがて、KENTO氏はもうアンチは相手にしないと言い出す。
 一言で言えば、KENTO氏はアンチに論争を挑み、返り討ちにあったということ。


*原因
 こういうことは、HS界隈では何回も繰り返されていることだけども、恐らくその原因はHSの煽りにある。
  • HSでは、大川隆法総裁の教えは、最高最大最強の教えで、どの宗教の教えよりも素晴らしいと説いている。
  • これを真に受けた信者は、HSの教えをもってすれば、アンチだって折伏できると思い込み、アンチ批判をする。
  • でも現実には、アンチを折伏できず、自分の方が窮地に追い込まれて逃げ出す。
  • しばらくすると、またアンチ批判をはじめるも、またもや返り討ちにあって逃げる。
  • しばらくすると、またまたアンチ批判をはじめるも…以下、同じことの繰り返し。
どうも、KENTO氏もこのパターンにはまってしまっている。


*内面
 想像するに、上のような状況にある時の信者の内面は、次のようになっている。
  • 信仰心旺盛のとき…「HSの教えは本物だ。人にはみな仏性があるのだから、この教えが本物であることは分かるはずだ。たとえアンチであっても、この教えを知ったら改心しないではいられないだろう」と奇跡の改心を信じている。または「自分はアンチを折伏する使命がある」と宗教的使命感に燃えている。
  • 現実主義、合理主義に変わるとき…HSの教えを説いても、アンチから反論されるばかりで、立て板に水という状態がつづくと、HSの教えの万能性への信頼は薄れ、奇跡の改心を信じなくなり、「アンチと不毛な議論をしていても仕方がない。自分の話を聞く人にだけ話そう。救える者から救ってゆこう」という現実主義、合理主義的な路線に転換する。ただし自分の説法能力、感化力の乏しさは反省しない。自分の言葉を受け入れぬアンチはけしからんと、すべてアンチが悪いとする。
 アンチに関わってきては退散することを繰り返す信者は、この二つの心理状況を行ったり来たりしてるのだろう。


*信仰の敗北
 ちなみに私は無宗教なので、信仰によって考えるより、現実主義、合理主義寄りの考え方をしている。奇跡の改心は絶対に無いとは思わないが、人は基本変わらないものであろうし、人を変えようとしても仕方がない。
 私はこういう考え方なので、KENTO氏がアンチから距離を取ろうとするのは理解できる。特定の信仰を他人に押し付けようとするのも、押し付けられるのも迷惑なことであるし、そういうことから離れるのはよいことだ。でも信仰者がこういう考え方をするようになるということは、ある意味、信仰の敗北ではあろうし、このことはきちんと自覚してほしく思う。