*まえおき
数年前、ブログ村の幸福の科学カテゴリー内において、HS信者同士の争いがありました。通称、「ブログ村騒動」です。
この騒動ではさまざまな争いがありましたが、今回は「癒し 天使たちのことば」に関連した発言をまとめました。このブログは独自の霊言を公開していた信者ブログであり、霊言の真偽の他に、エル・カンターレファイトに関する考え方でも、ガン、レオ両氏から批判を受けたのでした。
編集方針は前記事と同様です。名前のない文章についてはアドレスをみれば、発言者が誰かは見当がつくだろうと思います。
*発言集
では、「癒し 天使たちのことば」に関連した発言の一部を貼ります。「コピペ批判」と同じく、資料は少なめです。
◆おせっかいでしょうが|癒し 天使たちのことば
http://ameblo.jp/arhan/entry-12186102379.html
◇波長同通の法則を間違って理解していませんか?霊的なことですが一言|やすらぎのガンブロ
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/442067474.html
>霊言の原理は、波長同通ではないと思っていますので、それもありでしょう。
>ルシフェルとかの悪魔の霊言も、総裁先生や弟子の体に入りますので、波長同通論では、説明がつかないことは分かりますが・・・、
古典的な波長同通論者は、これを元に攻撃を仕掛けてくるので、ブログにアップしない方がよろしかったかと思います。
私の場合も、主ならどう考えるか?はよく考えるので・・・、なんとも言えませんが・・・、
女性なら、あり得ない話でもないかなと思います。
波長同通の法則のみを適用すれば、救世主は生まれることすら、不可能ですからね。
う~ん。
アデプトは、これくらい容易いかな。
>まぁ、フォローとして。
>コウ 2014-11-24 00:28:27
http://ameblo.jp/arhan/entry-11955776882.html#cbox
>そうですね、何度かおいで頂いておりますので、その感覚を何となく掴んでいます。
今回は、二人で行い、霊視役がいませんでしたが、その感覚は間違いないと思います。
>いつもおいでになるときは「私です」と御答えて下さいます。御言葉の内容や、受ける霊的な感覚で今回は審神者させて頂きました。
>私は、「主」または「総裁先生」とお呼びいたしております。また私は幸福の科学の会員なので、「主」はお一人しかおられません。
>ありのままを、正直に答えさせて頂きましたが、よろしくお願いいたします。
>KU
>ヴィーナス 2014-11-23 23:58:47
http://ameblo.jp/arhan/entry-11955776882.html#cbox
>だいたい、KUの反対者を波長同通法則論者とかいってるが、そもそも波長同通は、法則であって論ではない。
[省略]
>さらにいえば、総裁や弟子に悪魔などが、入れるというが、そもそも、総裁は自らの意志で入れているのであって、悪魔が入れるのではない。弟子にしても、総裁が意図してあるいは、総裁の監視の元でやっているから、可能であるのだ。そして、場所は、大悟館や総合本部の中だ。まったく、そういうことがわからんとは情けない。
Posted by 英 at 2014年11月24日 09:36
>癒し霊言ブログは問題だとは思いますが、直接やりあったわけではないので、四人組を相手にするほどの確執は、わたしは個人的には持っていません。
http://gunleo.seesaa.net/article/432981620.html
*速攻
ヴィーナスさんがひさしぶりにブログ再開しているが、さっそく攻撃されてるようだ。
傍から見た印象だけど、ヴィーナス霊言、それからレムリアのアマーリエ霊言の言葉はきちんと整えられていて、きれいな文章になってる。それにくらべると大川霊言の文章はあまりきれいとはいえない。
高級霊はみな詩人であるという基準からいけば、大川霊言は不利のように思う。
・新たなる、時代の幕開け|癒し 天使たちのことば
http://ameblo.jp/arhan/entry-12153749198.html
◇霊言を行なうのは大変なエネルギーを要する、とのこと|LEO幸福人生のすすめ
http://ameblo.jp/space-people/entry-12155349354.html
http://gunleo.seesaa.net/article/437362135.html
2016/4/30(土) 午前 7:11[ 自由 ]
http://mn266z.blog.jp/archives/17512617.html
*主への祈りと波長同通
ヴィーナスさんの主張は、波長同通の法則が絶対ならば、私たちの祈りは主に届かないし、私たちは主から指導を受けることもできないことになるのではないか、それはおかしいのではないかということらしい。
これに関しては、今のところ、波長同通の法則を絶対視する側からの有効な反論はないようだ。
ちなみに私は、信仰は次元の壁を破るという言葉が心に残っている。神秘の法だったかなあ。出典はよく覚えていないけど。信仰によって高次元と通ずるという可能性を、波長同通の法則で否定するのは無理だろうなあと思う。
ところで記事を読むと、ヴィーナスさんは本部の職員たちとも議論してるのかな。すごいなあ。
◆おせっかいでしょうが|癒し 天使たちのことば
http://ameblo.jp/arhan/entry-12186102379.html
◇天台智の思想1 一念三千論|やすらぎのガンブロ
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/440896125.html
2016/8/12(金) 午後 6:53[ 自由 ]
http://mn266z.blog.jp/archives/17512621.html
>私が、ブログ【癒し 天使たちのことば】を、肯定的に捉えている理由
>もしも
原理主義者達が主張するように
『信者達の誰もが、高級霊のインスピレーションが降ろせず
高級霊のインスピレーションが降ろせるのは、総裁先生タダ一人だけ!』ならば
悪魔達は、大喜びだろうね?
それが、真実ならば
悪魔達は
総裁先生が
寿命で亡く成るまで
後、約二十年の間
じっと我慢するだけで良い
その後は、悪魔達の天下に成るだろう
教団は、タダの、能無し教団と成って
救済力は、全く無く
ただ
教団維持の為に、御布施を集め
形骸化した教えを、維持する為だけに
存在する事に、成ってしまうだろう
日本の神々が
そのような事態を、望むハズも無く
せめて
数多くの、神社や神殿において
巫女や神主達が
衆生の、様々な要望に応じ
高級霊達のインスピレーションが
適切に降ろせる事が、望まれるだろう
今回、私が
ブログ【癒し 天使たちのことば】を
肯定的に捉えているのは
そのような、理由からだよ?
もちろん
総裁先生と
我々、一般信者とでは
霊格の差は、歴然だ
だから
巫女達が、受け取るインスピレーションも
あれが、精一杯だろう
総裁先生の様に
長時間の
神降ろしは
とてもでは、出来無い事が、ハッキリした
さあ!
これからが
弟子達の正念場だ!!
タダの、能無しで
今世の寿命を終える
【役立たずの職員】で終わるか?
それとも
適切に、高級霊達のインスピレーションを受け
総裁先生も感心するような、立派な仕事が出来るように成るか?
私は
世界中の
キリスト教徒達や
イスラム教徒達を
立派に感化出来る、弟子達を望む!!
ただ
彼らから
逃げ回るだけの
能無し信者は、必要とはしない!!!
『正義の法』は
誰に対して行えば、救済出来るのか
貴方の胸に手を当てて
良く考えることだ。
http://plaza.rakuten.co.jp/kohitujinopippo/diary/201601010000/
エルカンターレファイトでの攻撃 - 癒し 天使たちのことば
https://ameblo.jp/arhan/entry-11751571159.html
[省略]今日は、エルカンターレファイトのことについて、感じたことを書いてみたいと思います。
なぜかと云いうと、私は最近少し体が重く、何となく変だったが、巫女役の方もそのことに気づき、どうしてだろうと意識を向けてみたところ、誰かが数名で私達に向けてエルカンターレファイトをしているのを発見しました。
これは、主との約束事なので、行じると主の光の降魔の光が相手に届くことになります。
私達はその降魔の光をありがたく受け取ることにし、しかし、その中に混じっている「砂」の部分は取り出し、祈りによって浄化し、発信者にお返しさせて頂きました。
ただ、私達が気付くのが少し遅かったので、私の家族にその影響がでまして、緊急に病院へ行くことになりました。幸い軽くてすみましたが、私の力不足を、とても悲しく残念に思っています。
[省略]この世的世界観と心の世界 - 癒し 天使たちのことば
https://ameblo.jp/arhan/entry-11753760215.html
[省略]
前回も書きましたが、これは主の御光であり、それをありがたくお受けしております。
なので、このエルカンターレファイトがおかしいとは思っていません。
そして、法友に対して使ったとしても、基本的には何の問題もないはずです。
そして、世の中を良くしようと思い、地域や国やその地球を取り巻く悪想念に対して使うことも、素晴らしいことだと考えています。
主の教えのもとに、エルカンターレファイトを行じられる事は大変素晴らしいことであり、菩薩行の1つだとも考えております。
てはなぜこのブログに書いたかといいますと、その中に「砂」が混じっていると、言うところであります。
「砂」と書けばご理解していただけると思いますが、もう少し詳しくお話したいと思います。
これは、爽やかな風のお話の中で、この風に砂塵が混じっているというところから「砂」を使ったものです。
砂は、「あまりよろしくない思い」と言う意味で前回の文章に使っております。
その思いが人を傷つけると、言っているのです。
このエルカンターレファイトを行じるにあたり、まず自らの心を点検し、この砂塵が混じっていないかどうかをよくよく点検する必要があると思います。
そして純粋な気持ちで行おうとしているのか、主の教えに反した心でもって行おうとしていないか、これを問う必要があるのではないかと思います。
ですから、エルカンターレファイトを行うにも、修業の観点を忘れてはならないのではないかと思います。
多くの経験をすることにより、主の理想に近づく、そして、人の役に立つエルカンターレファイトが出来るよう、常に常に努力が必要ではないかと思っております。
[省略]
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